気を落ち着かせるため駅前に行ってみた
前回の記事↓
駅前に来ると、改札内に入れず溢れてしまった人がたくさん。ほとんどの人が仕事に行く格好で、みんなケータイで情報収集をしていました。
私は特に電車に乗る用事はなかったけど、怖くて自室に戻る気になれなかったし気も動転していたので、しばらく駅前の植え込みに腰かけて過ごすことに。
万が一もう一度揺れが来たとしても周りに人がいるほうが幾分気がまぎれるし、駅舎の方が丈夫だと思ったし。
ちなみにその間はずっとTwitterを見ていました。なにせそこからしか情報が拾えないので(´・ω・`)
ソワソワと落ち着かない時間を過ごす
1時間ほど経って少し落ち着いてきたので、一旦自宅に戻ってみました。時刻にして午前9時すぎ。
でもなんでしょう、こういうときって、なかなか「よし片付けよう!」とはならないもんなんですね。
片付けなくちゃなぁ、というのはあるんですけど、もうあらゆるものが散乱しているので呆然としてしまって、気力が起こらなかったのです。それに万が一また大きく揺れたらまた散らかってしまうかもしれないし。
妙に気だけがソワソワして何も手に付かない、でもゆっくり過ごす気分にもなれない・・・
という圧倒的手持ち無沙汰感に襲われた結果、ちょっと余震で揺れるたびにビクッとし、怖くなって駅前に降りる、というのをその後無駄に3回ほど繰り返すことに。つまり1階から7階までの階段上り下りを半日で3往復。後日ちょっと筋肉痛になりました。
お昼ご飯も、ガラスや土の散らかった部屋ではおちおち食べられなかったので、スーパーでパンを調達して駅前でもぐもぐ。(近くのカフェは電車足止め食らった人たちでどこもいっぱいだった)
ようやく気力が戻り始めたのは午後遅くになってから
さらにずっと気が立っているので、この時には「揺れていないのに揺れているような感覚になる」状態にも陥ってしまい、ホントに参りました。
結局、ようやくガラスや土だけでも片付けるか、という気力が戻ってきたのは15:00を回った頃だったような。
幸いいくつかの私鉄が動き始めるかもという情報が入り、家族が近くまで来てくれることになったのです。この安心感はかなりのものでした。
というわけで、その後は待ち合わせの時間までに最低限の片付けや家具の移動を行い、晩に郊外まで出て家族と合流し、その日は自宅には帰らず妹の家に泊めさせてもらえることになった、というのが地震当日の顛末です。
「朝に何事もなく目が覚めること」がこんなに有難いことだとは
結局妹の家にはこの日から3日ほど寝泊まりさせてもらいました。私の場合は「またアレが来るかも」という精神的なダメージが大きく、なかなか自宅で寝る気になれなかったんです。
この間、「本当に来るかわからないけど警戒し続けなくてはいけない」というのがかなり辛かったですね。
この記事を書いている今は地震発生から5日以上が経過しており、私もすっかり自宅での生活に戻っていますが、最近は朝目が覚めるたびに「あぁ、今日も何事もなく目が開いた」と思うようになりました。
それがどれほど有難いことなのか、普段は意識することもなかったけど。
「普通に過ごせる日常」は決して当たり前なんかじゃないんだな、というのを今はひしひしと感じます。
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