▼この記事はシリーズ連載です▼
・【体験談】「お茶しましょう」の誘いに乗ったら宗教の勧誘を受けて悲しかった話。(1)
・【体験談】「お茶しましょう」の誘いに乗ったら宗教の勧誘を受けて悲しかった話。(2)
・【体験談】「お茶しましょう」の誘いに乗ったら宗教の勧誘を受けて悲しかった話。(3)←now
・【体験談】「お茶しましょう」の誘いに乗ったら宗教の勧誘を受けて悲しかった話。(4)
・【体験談】「お茶しましょう」の誘いに乗ったら宗教の勧誘を受けて悲しかった話。(5)
もくじ
ずっと姉のターン!仏法の素晴らしさについて語り始めた!
妹のうつ病が治ったのは「なむみょーほーれんげんきょー」と一心に唱え続けたおかげ!!と実にキラキラした目でのたまった姉。
そこからまるでレコードのようにスラスラとその呪文のすばらしさを語り始めました。
話を聞いていると、「仏法」「仏様」「日蓮大聖人様」という単語が何回も出てきたので、どうやら仏教系の宗教のようです。
以下、話の内容を箇条書きで要約。
- 妹が高熱のまま引きこもってしまった時はもうどうしようかと思ったが、家族で一心に仏法を唱え続けると、何日かして妹が出てきた。その時の妹はとても顔色がよく、肌もきれいになっていて驚いた(その前は死ぬんじゃないかってくらい血の気がなかったらしい)
- その後、妹も一緒になって家族で仏法を唱えるようになると、どんどん家族が幸せになっていった。
- 職場でお局ババアのイジメに困っていた友人がいたので、この仏法を教えてあげたら、唱え始めてしばらくしてお局ババアが急に優しくなった。(そのお局ババアはカッターナイフをカチカチしながら(!)脅しをかけてくる人だったらしい。また、友人は前の職場では上司にドラム缶を投げられる(!)などのイジメにあっていたらしい)
- 自分の母親は17~22歳くらいまでずっと病気がちだった。血液検査をしてもらうと「生きているのが不思議なくらい」な数値だった。自分の足で色んな病院を渡り歩いたが治る見込みなし。ところが、毎日仏法を唱え続けていたらいつの間にか数値が改善していた。お医者さんも驚いていた。
- 今思えば、病気になる、いじめられるなどの一見不幸な出来事は、すべて「日蓮大聖人様の教えの素晴らしさ」に気付くための宿命だった。逆に言えば、それくらいのヒドイ目に合わないと、私たち人間はその素晴らしさに気付かない。だから仏さまは私たちみんなに、試練の宿命を用意してくださっている。
っと、ここで姉がケータイをもって、「ちょっとごめんねー」と一旦退席。
この後も何回かケータイ持ってどっかいってたが、多分仲間と連絡とってたんだろうな。人とご飯の最中もずっとケータイ出してチラチラ気にしてるとか単純に失礼な奴だなと思ったけど(^ω^)
今度は妹のターン!!同じく仏法の素晴らしさについて(以下略
残された私と妹。すると今度は妹が、姉の後を引き継ぐように話し始めます。えぇさっきまで空気やったやないか君・・・(´д`)
- 自分も17歳になるまでは半信半疑だった(どうやら入信は17歳からという規定があるらしい)。でも、実際に無気力と高熱と便秘(排泄が一切できなくなっていたらしい←お前それ死ぬやろ!)に苦しんでいた時に姉から「これ唱えなさい!!」と言われた。正直「もう勘弁してくれよ」って気持ちだったが、観念して唱えると不思議と体がスッとラクになった。しばらくして猛烈にお腹が動き出して、排泄が出来るようになった。
- 昔は自分の手をペンで刺したり指を噛んだりして居たので、手の皮がボロボロで皮膚の中身が見えていた。でも仏法を唱え始めてからみるみる手がきれいになった。
- 母親は生まれつき股関節のかみ合わせが悪く、自分では歩けない状態だった。到底子どもなんか生めない体とも医者から言われていたが、この仏法を唱え続けると出産のときだけ体が健康体になり、私たちを生むことができた。
しばらくして姉が戻ってくる。ここで相手の腕時計でチラッと時間を確認。20:20か・・・
さて、その間私は何をしていた?
さてこんな感じで、姉妹が一生懸命さっきの話をまくし立ててる間、私は何をしていたのでしょう?
答えは簡単。ずっと
へぇーーーそうなんだねーーーすごいねーーー(^ω^)
と、肯定も否定もせずただただ受け流す、ということをやっていました。もちろんニコニコ聞いているふりをしながらね(実際ちゃんと聞いてますよ)
ここで前回の記事でお話しした「前者後者」のお話が少しばかり役に立ったんです。
前者後者とはなんぞや?という方はこちらをどうぞ。
観察する限り、この姉妹は二人とも後者でした。私は前者です。
後者の人の特徴として、「天然さん」「こっち(前者)が思ってもみないことをする」「なんかやらかす」というものがあります。
実は、先ほどの話を繰り広げている最中に、妹が味噌汁のお椀に肘を突っ込んでテーブルの上がわかめの海になる事件が起きていたり(ちなみに妹は仕事帰りなのかスーツでした)、
そのテーブルにひっくり返った味噌汁も、ざっと拭いただけで何事もなかったかのように食事に戻ろうとするなどなかなかのやらかしっぷりを見せてくれました(テーブルにわかめが散乱したままで、箸を動かすたびにスーツの袖にわかめがピチャピチャ触れてた)
姉は姉で、たまたま近くにおいてあった店員さん用の水のピッチャーを勝手に持ってきて(ここはセルフの店ではありません)、自分や妹のコップに注ぎながら「この席近くに水があってラッキーだね!(´∀`)♪」とか言っちゃうし、
とにかく私は、
(´д`)なんだこいつら
↑内心こんな顔してただただ見守るばかりでした。
前者後者論をまさかの勧誘かわしに応用!
が、同時にこうも思いました。
まーこの人ら後者やしな・・・
これが重要キーワード。
天然ビックリなやらかしも、先ほどの仏様のよくわからないお話も、「まーこの人ら後者やしな・・・」の一言で全て受け流すことが出来たんです。
話を聞いていると、矛盾したことやら意味の分からない言葉やらいっぱい言われるんですが、私は前者で相手は後者、という「そもそも言語が違う生き物なんだな」という認識を持つことで、一歩引いた視点を獲得できるのです。
宗教勧誘のかわしにまで使えるなんて、前者後者論の汎用性すごい。
しかも私は修行中とはいえカウンセリングの技術もかじっています。何を言われても「へぇー」「そうなんだー」「すごいねー」と、ニコニコしながら全ての話を受け止めるスーパー傾聴モードに入れば、多少の突飛な話だって相手の機嫌を損ねないままふんふんと聞き続けることが可能です。
そんなこんなで、姉妹が仏法の素晴らしさをまくし立てる→私が柳のように受け流す、ということを延々続けること40分ほど。時計は21時を指そうとしていたので、そろそろまとめに向かうように仕向けなければ。
というわけで、次回へ続く。予想外に長編ストーリー物になってますがもう少し。
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