先日から、かの「毒親本」として有名なスーザン・フォワード著「毒になる親」を読み進めています。
さすがの「毒親本といえば」なベストセラーだけあって、ページがハイライトした箇所でいっぱいになるんですが(電子書籍で読んでいます)、その中で「怒り」と「許し」についての記述がありました。
もくじ
「許す」ことで問題は終わり、次に進めるようになるけれど
「毒になる親」では、親子関係において気持ちの整理がつかないまま安易に「親を許す」という行為を行ってしまうと、かえって自分の状態を悪化させてしまうことがある、といったことが説明されていました。(ちなみにこの章のタイトルは「毒になる親を許す必要はない」です)
一般的に、何か怒りや悲しい気持ちが沸き起こったときは、それを「許す」ことでその問題は終息しますよね。
例えば喫茶店で店員さんがミスをして水をひっかけられてしまったとき、その時は「何するんだ!」という驚きや怒りが沸き起こっても、時間がたてば「まぁミスは誰にでもあることだし」と考えられる心の余裕が出てきます。そして気持ちの整理がついて許せた時にその問題は終了し、「たわいもない出来事」として小さくなって、いつしか忘れてしまうでしょう。
こうやって「許し」はその問題にいちいち固執せず、自分を一歩進ませるのに重要な役割を果たします。
「許し」は自分の気持ちに整理がついていないと意味がない
でもここでの一つの大前提は、その問題についてちゃんと感情が治まっていること。つまり「許してもいいかな」と自然に思える状態になっていること。
その気持ちの整理がついていないのに、問題を終わらせるために無理やり「許さなくちゃいけないから」と自分に言い聞かせても、それは真の許しではない、ということが本には書いてありました。
「許した」と思った時には一時的に気分がすっきりすることはあるが、その状態がずっと続くことはなく、人生が劇的に変わったわけでもなかった。実際、そんな風に自分に言い聞かせることによって、さらにうちひしがれている人もいた。
自分の許し方が足りないのだと思い込み、ますます「自分はだめな人間だ」と感じてしまっている人もいた。
そういうわけで、私はその後、長い年月をかけて「許す」という概念について綿密に研究してきた。そして次第に、「許さないといけないから許す」というk長江は、傷ついた心の回復には助けにならないばかりか、むしろ妨げになっているのではないかと思うようになった。
毒になる親 第九章「毒になる親」を許す必要はない
「親への怒りを吐き出すワーク」は正しかったんだ
先日私は「親への怒りを吐き出すワーク」を実践して、長年自分でも気が付かないうちに心の奥に押し込めてきた感情をやっとの想いで表に引っ張りだしてきました。
親への怒りを吐き出すワーク、今日の所はこれくらいで勘弁しといてやろう…でもまだ残ってるからもう何回かに分けてやろう_(:з」∠)_
くそぅなんで私がこんな事せなあかんねん_(:з」∠)_
ちな紙はA4 pic.twitter.com/Fy8CrDDBFK— miso@8/3 LE音楽会 (@miso35miso) April 15, 2018
私はもう数年にわたって自分の抑うつ傾向に取り組んでいますが、このワークをやったことで改めて、自分の中にはまだまだこんなに未処理の感情が残っていたのかと思い知らされました。
そりゃあ自己分析をいくら進めても、自己肯定するために色んなことを試してみてもなかなかうまくいかないわけです。だって問題を終息させる大前提の「気持ちの整理」が全然出来てなかったってことだもの(´・ω・`)
でも、これをやったことはやはり意味があったのだなぁと、今回の「毒になる親」の記述でさらに裏付けられたような気がしました。
特に毒親育ちだったり、「真面目ないい子」をずっとやってきた人は、自分の感情を押し込めることが当たり前になりすぎていて、自分でも自分の本当の感情に気が付かなくなってるんですよね。
だからわざわざこういったワークやセラピーといった工夫がないと気持ちを取り出せないんですが、それでも自分の感情を外に出して「ちゃんと怒る」が出来て初めて、次のステップに進めるようになるということを実感しています。
「許さなくちゃいけないから許す」は結局自分の気持ちに蓋をしている
本当に許すことができるのなら、それはかまわない。だがそれは、「心の大掃除」という長い道のりを経て、すべての整理がついたうえで、最後の結論としてそうなるのでなくてはならないということなのである。まず最初に「許さなくてはすべてが始まらない」というのでは、順序が逆なのだ。
(中略)
人は簡単に「許して忘れなさい」と言うかもしれないが、それは「そんなことは何も起きなかったというフリをしていなさい」と言っているのと同じである。
毒になる親 第九章「毒になる親」を許す必要はない
「許さなくちゃ進めないから許す」というのは、結局また自分の気持ちに蓋をしているのと同じです。
自分は悲しかったんだ、自分は傷ついたんだ、自分は怒りたかったんだ、自分は辛かったんだ。
そういう「自分が傷ついたという事実」を否定してまで、許しに走る必要はないんです。まずはそんな自分の気持ちをしっかり表に出して、認めてあげられるといいですね(´ω`)
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