もくじ
止まらない負の思考を赤ペン添削してみた
最近気分の揺れが激しい。一日調子がいい日があると、次の日はだいたい急な虚無感に襲われたり、涙が出てきてやるべきことが手につかなくなったり。
ちょっとした出来事からすぐ卑屈になったり自分責めを繰り返してしまいます。
こんな自分を変えたい!というか、こんな卑屈じゃなかった元気な頃の自分に戻りたい!
と常々思ってはいるんですが、ループに入ってしまうともうどうしようもなく辛い。
けどこれをそのまま放置してても何も変わらないので、とりあえずループに入ってるときに頭に巡ってしまう思考を書き出してみる。そしてそれを赤ペン添削してみるということを思い立ちました。認知行動療法もどき、みたいなもんです。
ちなみに認知行動療法とは、自分の思考を書き出すなどして客観的に眺めてみることで、いかにその思考が論理的に飛躍していて、思い込みや妄想にまみれているかを知る!そしてそういう思考を繰り返してしまう自分が恥ずかしくなって悶絶する!!
というドMなことを延々と繰り返していく心理療法です(語弊あり
厳密にいうと認知行動療法はもうちょっとちゃんとしたやり方があるんだけども、その本質は「自分の思考を客観的に見つめ直して認知のゆがみを正していく」というところなので、まぁこれはこれで一定の効果は得られるんじゃないかという期待。
というわけでちょっと恥ずかしいんだけども、実際に私がヘコんだことのある出来事を持ち出してケーススタディいってみよう。
以下、頭の中に浮かんだ言葉や思考をそのまま書き出してみました。
「どうせ自分なんて」ケーススタディ
その1
ライブの集客がノルマに届かない。前々から告知していて、友人には「予定空けておく!」と言われたにも関わらず、後日確認の連絡を入れたら「ごめん予定入った!」と断られる。
→前から言ってたのに。というか予定入ったんじゃなくて入れたんだろうが。
→どうせ自分との約束は後回しにされる。自分はわざわざ会いに行きたいと思ってもらえるような実力も価値も持っていないということの現れだな。
→そうやっていじけてる間に実力つけるような行動とれよ、全く建設的じゃないことわかってるくせにいつまでもそこにとどまってんなよ、だからお前はダメなんだよ。
その2
思ったようにお金が稼げない。のでいろいろ手を出して試行錯誤してはいるけど心と体ばかり疲弊していく
→そりゃあ人様より働いてる時間も努力している時間も短いのに十分な収入がないのは当たり前でしょ。というかそんな実力もない癖に楽して稼ごうとするなよ
→そうやってグダグダ止まってる暇があったら、ちょっとでもよくする方法を考えろよ。スキル磨けよ。試行錯誤している「つもり」になってるだけやろ、甘えんなよ
その3
ちょっとでも同じ境遇の人の役に立ちたくて、自分の気分の落ち込みについてあえて情報発信を試みる
→文章を書いているうちに、自分がいかに病んでて辛そうで可哀そうな人か知ってほしい、優しく構ってほしいだけの痛い人間に思えてくる
→こんな自分語りを発信したところで誰の役にも立たないし、どうせ「なんか病んでてヤバそうな人」認定されているだけなんだろうな、と思って結局投稿せずに終わる
→どうせ自分は周りの人に「最近あの人病んでてヤバそうやけど大丈夫かな」なんて飲み屋で酒の肴にでもされてるんだろうな。そんで実際に会えば当たり障りなく接するものの、内心は腫れ物に触るかのような目で見ているんだろうな。もう誰も信じられねぇよ。
「事実」と「事実でないもの」を見極める
あーもうこの時点で被害妄想はなはだしい人間だなオイ、と若干自分のことが嫌いになりかけてます!もうくじけそうです先生!
けど本番はここから。「あぁこんなこと書いたら、また人が離れていくんだろうな・・・(´-`)」という悲しみの妄想にさいなまれつつ、自分に鞭打って続けていきます。まさにドM。
えーと、あぁそうそう赤ペン添削。思考を客観視するときに外してはいけないポイントは「事実」と「事実でないもの」を分けること。
「事実」とは、実際に起こった出来事で、誰がどう見ても1通りの解釈しかありえないもの。
今日雨が降った、とか、体重を測ったら○kgだったとか、買いたかったお菓子が売り切れていた、とか。
対して「事実でないもの」は、その出来事に対して複数の解釈があり得るもの。思い込みや決めつけ、妄想など。
また、自分から見たとき「基準がなくて判断しようがないもの」もこれに含む。あの上司が不機嫌だった理由、とか、友人の発言の意図、とか。
これを踏まえて先ほどのケーススタディに赤ペンコメントを入れてみる。
「どうせ自分なんて」赤ペン添削 ver.
その1
ライブの集客がノルマに届かない。(←事実)
前々から告知していて、友人には「予定空けておく!」と言われたにも関わらず、後日確認の連絡を入れたら「ごめん予定入った!」と断られる。(←事実)
前から言ってたのに。(←他人を責めたい気持ち)
というか予定入ったんじゃなくて入れたんだろうが。(←他人を責めたい気持ち+思い込み)
どうせ自分との約束は後回しにされる。(←思い込み)
自分はわざわざ会いに行きたいと思ってもらえるような実力も価値も持っていないということの現れだな。(←思い込み)
そうやっていじけてる間に実力つけるような行動とれよ、全く建設的じゃないことわかってるくせにいつまでもそこにとどまってんなよ、だからお前はダメなんだよ。(←自分責め)
その2
思ったようにお金が稼げない。のでいろいろ手を出して試行錯誤してはいるけど心と体ばかり疲弊していく(←事実)
そりゃあ人様より働いてる時間も努力している時間も短いのに(短い、というのは主観的な尺度なので本来判断しようがないもの)
十分な収入がないのは当たり前でしょ。(労働時間と収入は比例する、という思い込み)
というかそんな実力もない癖に(思い込み+自分責め)
楽して稼ごうとするなよ(自分責め)
そうやってグダグダ止まってる暇があったら、ちょっとでもよくする方法を考えろよ。スキル磨けよ。試行錯誤している「つもり」になってるだけやろ、甘えんなよ(自分責め)
その3
ちょっとでも同じ境遇の人の役に立ちたくて、自分の気分の落ち込みについてあえて情報発信を試みる(事実)
文章を書いているうちに、自分がいかに病んでて辛そうで可哀そうな人か知ってほしい、優しく構ってほしいだけの痛い人間に思えてくる(妄想+自分責め)
こんな自分語りを発信したところで誰の役にも立たないし、(思い込み)
どうせ「なんか病んでてヤバそうな人」認定されているだけなんだろうな、と思って(妄想)
結局投稿せずに終わる(事実)
どうせ自分は周りの人に「最近あの人病んでてヤバそうやけど大丈夫かな」なんて飲み屋で酒の肴にでもされてるんだろうな。そんで実際に会えば当たり障りなく接するものの、内心は腫れ物に触るかのような目で見ているんだろうな。(妄想)
もう誰も信じられねぇよ。(他人を責めたい気持ち)
実際に添削してみて
いやーやっぱり被害妄想はなはだしい人間だなオイ。
赤ペン添削をした結果、考えてることのほとんどが思い込みと妄想で構成されていることが判明しました。酒の肴のくだりとかよくそんなストーリー思いつくよなぁと静観できる自分と、でも本気でそう思ってしまう自分が両方存在しているこの気持ち悪さ。自意識過剰でプライドだけ妙に高い自分が浮き彫りに。あぁ恥ずかしい(/ω\)
あと思い通りにならない出来事に対して、他人を責めたい気持ちと自分を責めたい気持ちが両方現れているなぁと自己観察。
というか、他人を責めたい気持ちが起きても、すぐ後で「でもそれって結局自分が○○だからだよな」って自分に矛先を向けるように思考が自動化されているようであります。でもそれさえも、自分が悪いことにしておけば他人からの批判が軽減されるかもしれないっていう姑息な自己防衛の手段に思えてしまってもう(以下略
でも、よく見ると正論もちゃんと考えてるんですよね。「実力不足を嘆く暇があったらスキルを磨け」の文脈ですが。
以前はこれで奮起できていたんですけどね。でもここには自分責めも含まれてしまっているので、それを長い間繰り返しすぎて、精神的に疲弊してしまったのが今の状態なのかなぁ。
結論:すぐにスッキリは出来ないけど、気持ちを落ち着かせることはできる
というわけで、今日は「どうせ自分なんて」のループにはまってしまったのを逆に利用して、自分の思考を客観視する練習をしてみました。
正直最初は「あぁーなんて自分は短絡的な思考ばっかりしてるんだー」と余計もにゃもにゃして、実をいうとあんまりスッキリはしてません(爆
けど、「どうせ自分なんか!自分なんか!」とベッドでめそめそしていた時の気持ちの高ぶりは落ち着かせることが出来ました。
感情が高ぶっているときは、その感情を感じることで頭のメモリが一杯一杯になってしまって、まともな思考も出来ないようになってるんですね。
なんで、とりあえず思っていることを書き出して、感情を自分から一旦ひきはがすことで頭のメモリを空けて、気持ちを落ち着かせる効果があるのかな、というのが実際にやってみた感想でございます。
多分、具体的にこういう思考に変えていこう!というのはもうちょっと先のステップで、まずは自分はこんな風に考えてしまいがちなんだな、ということに「気付くだけ」が認知行動療法の最初の段階なんでしょう。
あまり先を急ぐと私のように「気付いているのに変えられない自分はなんてダメなやつなんだ」という沼にはまり込んでしまうからね!これほんとに気を付けて!
決して焦らず、急がず。思考グセとはゆっくり付き合うのが最善策のようでございます。
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