もくじ
相反する2つのルールによって板挟み状態に
前回の記事↓

前回の記事では、私が「幸せ」というものについて
①人からいじめられる、妬まれる、攻撃される
②私が許されるための絶対条件、できて当たり前のこと
という相反する前提を信じてしまっているため、板挟みになっているというところまで書きましたね。
①は主に「攻撃してくるかもしれない不特定多数の見知らぬ人」に対して、②は逆に「自分にとって大切な人」にそう思われているかもしれない、という恐れです。
大事な人からの承認よりも、怖い人達から身を守ることを優先した
それで、この板挟みになった私がどうなってしまったか、というのを今から書いていくのですが、どうも私は②から得られる承認よりも、①に対する恐怖の方が勝っていたのでした。
その結果、自分でも無意識のうちに
・自分の存在を隠すように生きる
・突き抜けた実績を上げないように生きる
・評価もお金も得ないようにする
という生き方にじりじりと身を寄せていくようになっていました。①の恐れから身を守る術として。
要はこれって結局「嫉妬」が怖いってことなんですよね。「人より裕福であったり幸せな姿を見せると叩かれやすい」っていうよくわからん空気ってあるじゃないですか。よくわからんけど、それでもやっぱり怖い。
でもこうやってコソコソ身を隠していれば、変に目立って攻撃のターゲットになるリスクは軽減されます。豊かにならない限り、その人たちからは許してもらえるんです。
※実はこの「許してもらえる」というストロークは私の抱える問題にとってめちゃくちゃ核になってることなんですが今その話をするとややこしくなるのでここでは割愛します。また後日別記事に書きますね(・ω・)
ルールを犯してしまった自分はきっと許されないだろう、という思い
でもこういう生き方は、②で想定した大切にしたい人たちの期待には反するんだろうな、ということも想定するわけです。そんなコソコソうじうじした自分の姿は、到底受け入れてくれないだろうなと。
だって、そういう人たちには「順風満帆な姿」を見せなくちゃいけない、というもう一つのルールがあるから。だから「なかなか軌道に乗れなくてずっともがいてばかりいるこんな自分の姿は、きっとダメだと思われるだろう。きっと許してもらえないだろう。」そんな風に思ってしまっているのです。
すると、自分にとって大切だったはずの人達のことまでが怖くなってしまったのです。成功することが受け入れられるための条件だという「前提」なので、今のままだと否定されると。そしてますます身を隠すようになります。これ以上傷付かないために。
こうして、人目の恐怖に怯えながら小さく小さく縮こまっていく私が出来上がったのでした・・・(´д`)
「よく見るとおかしい前提」を疑ってみるのが鍵
とりあえずここまでが、今のところ分析できていることです。いやぁ書いてて思ったけどめんどくせぇなコイツ(´・ω・`)←
いやはや、立派にこじらせまくってますね。まぁこじらせる、ってことはそれだけ深くまでずっと一人で悩みに悩んでしまった結果ということなので、あまり冷たくあしらわずに「おーよしよし、もう大丈夫だぞー」っと雨に震える子猫に救いの手を差し伸べるが如く接して頂くのがきっとこじらせ族との正しい関わり方だと思ってます|Д・;)))プルプル
さて、じゃあここから抜け出すにはどうすればいいかってことなんですけど、読んでいると色んな箇所に「よくよく見るとおかしな前提や思い込み」が散見されます。これがきっとキーポイント。たとえば、
・本当に「幸せ=攻撃される」なのか?いつからそんなこと思い始めた?
・「自分は許されない」という思い込みは事実なのか?
・「成功して当たり前」なのか?いつからそんなこと思い始めた?
・そもそもなんで「自分は攻撃される」ことが確定事項かのように思ってるのか?
・「受け入れられるためには条件が必要だ」と思っているのはなぜか?
このあたりの「信じ込んでしまっていること」をひっくり返すことが出来れば、見える世界が変わるはずなんですよね。
まぁ具体的にどうすればいいのか、というのは今は一概にズバッと答えを出すことは出来ないんですけどね。てか私が知りたいわ!!( ゚Д゚)
ただその答えを見つけ出すヒントとして、心療内科や精神科などの医療機関、カウンセリングサービス、色んな心理学本などなどがあったり、ということなんですけどね。
一朝一夕に解決できることではないので、まだまだ焦らずじっくり向き合うことが必要そうだなぁ(´ω`)
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