「贅沢な悩み」という言葉は自分にも他人にも優しくない言葉だと思う

考えたこと

こんにちはmisoです。

唐突ですが、「贅沢な悩み」っていう言葉、私あんまり好きじゃありません(´・ω・`)

 

というかそもそも悩みに贅沢も貧相もないと思うんですけど!!(゜д゜)ガー

人の悩みをジャッジするのはおこがましい

 

悩みって、ホントそのまま、ただの「悩み」なんですよ。それに贅沢も貧相も、高尚も低俗も、本来はないと思うんですね。

周りからしたら「何故それが悩みになるの?」っていうことで、取るに足らないことに見えるかもしれないけど。

でもそのせいで頭抱えてるし苦しんでるっていうことはその人にとっては事実な訳で。

というか、それを「贅沢だ」とか判断してるのは単に外野の価値観や立場からであって、悩んでる当人の価値観や立場とは全く関係ないことのはず。

人の悩みを勝手に自分の価値観だけでジャッジするのって、かなりおこがましいことだなぁって思うんですよね(´д`)

下手すると自分を責める道具になりかねない

もう一つ、「贅沢な悩み」という言葉が嫌いな理由。それは言われた方が要らぬ罪悪感を持ってしまう可能性があるってこと。

さっきのは「ジャッジする外野」の批判だったけど、今度は自分が悩んでる当人だった場合を考えてみてほしいです。

「贅沢な悩み」という言葉には、だいぶ乱暴に言えば「そんなことで悩んでるあなたはオカシイ」というメッセージも含んでると個人的には思うんですよ。

もちろん、「悩めるのも今の内だし、今はとことん悩みなよ」みたいな肯定的な意味で発信してるんだったら話は別ですが・・・でもその場合は受け手側もその通り受け取ってくれるくらいの信頼関係なり精神の強さなりがないと難しいと思います(´・ω・`)

そんなメッセージをぶつけられて「うるせぇよ(^ω^#)」って思えればまだいい方で、真面目でおとなしくて、自己批判的な人だったら「そっかぁ・・・そうだよねぇ(´・ω・`)」とそのまま「オカシイ」のメッセージを受け入れちゃう恐れだってあります。

その瞬間、その人にとっては悩むこと自体が悪いことになってしまい、「こんなことで悩んじゃダメだ。こんなことで悩むのは贅沢なんだ。」心のモヤモヤを押さえつけるようになってしまう。

そうすると、押さえつけられたモヤモヤは自分の内面で増幅し、さらに苦しむ。でも「こんなことで悩んでるなんておかしいよねぇ・・・(´・ω・`)」とまた押さえつける。以下ループ。

こんな風に、悩むこと自体に罪悪感を覚えてしまう。しかも根が真面目な人ほどこの罠にははまりやすい。こんな苦しいことはありません。

まとめ

以上の理由から「贅沢な悩み」という言葉が私は好きではありません。そうやって他人を裁いたり、自分を責めたりする道具に変化しやすいから。

というか、そもそも「贅沢」という言葉自体になんとなくネガティブなイメージが込められてる気がするのはここが日本だから・・・?(゜ω゜)

この国は「贅沢は敵だ!」なんてスローガンで人を切り捨てまくってた時代もありましたが、そこから何十年たってもいまだに「豊かなことは悪いこと」「贅沢するお金持ちはなんかイヤ」というイメージがはびこっていることはとても無関係には思えないんですが・・・(´・ω・`)

まぁとにかく、悩みは悩みでいいじゃない。その人にとってそれが辛いものだという事実だけを受け止めてあげたらいいじゃない。そんな風に私は思うんですがねぇ(´・ω・`)

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