しんどいときは「ただの日記を書く」日があってもいいんじゃないかと
昨日もここに書いた通り、最近心身の調子が悪いです(´・ω・`)

正直今は、気づきや学びをしっかりまとめる系の記事を書くのが体力的にしんどいので、回復するまではちょっとブログのやり方を変えようと思います。
具体的には、「ただ事実を記録するだけ」の記事を書く日を取り入れてみようかと。要するにただの日記です。しんどい時でも、これなら書ける。
ただの日記にどんな需要があるんだ、そんなものを書いても読まれるブログにはならないぞ!というのが最近のブログ界隈ではまことしやかに言われております。
しかし、その「人が読みたいと思う文章を書かなくては」「人の役に立つような文章を書かなければ」「何か学びを得られるような文章を書かなければ」という他人軸ばかりを意識しすぎて、ブログを書くことに気負いや余計なプレッシャーが生じていたことに気付きました。記事を書いてなんぼのブログで、これは明らかにマイナスです(´・ω・`)
というわけで、ここは一旦初心に帰る。人がどう思うかは二の次で、自分のためにブログを使う。
過去の自分はこんなことを言っているわけですしね(読み返したら割といいこと言ってて自分でびっくりしたw)↓

日記には無理に感想を書く必要はない
このように思い至ったのは、「日記ブログが導いた、うつからの突破口」という記事を読んだのがきっかけです。

この中に、表三郎氏の著書「日記の魔力」の引用が紹介されています。
日記に『感想』を書く必要はない。じぶんがその日、取った行動を客観的に記録すればそれだけで十分なのだ。
(中略)
人生は輝ける大海原を渡る大航海なのだ。ときには嵐に出会うかもしれない。ときには凪のなかで船足が泊まってしまうこともあるかもしれない、それでも日誌をつけていれば、それさえもかけがえのない人生の1コマであったことに気づく日が必ずくる
出典:日記の魔力(表三郎著・サンマーク出版)
ブログは自分の気づきを言語化して整理したり、自分を振り返って行動を改めていくのにとても便利です。しかし、それも自分を改善していくだけのエネルギーが残っているときじゃないと上手く活用出来ません。
そのエネルギーすら残っていないと、改善しようとしたところで「やろうとしているのに出来ない自分」ばかりに注目することになってしまい、余計に自己嫌悪に陥ることを思い知りました(´・ω・`)
なので、それに耐えうるだけの元気が戻ってくるまで、余計なジャッジはしない。それには「無理に感想を書かず、ただ自分のとった行動を客観的に記録する」のがピッタリだなと思いました。
ラクにいこう、と決めた途端に筆が進む不思議
というわけで、しばらくブログは低空飛行。自分のラクなペースで、ゆるゆる書いていこうと思います(´ω`)
でも、「ゆるゆる書こう」と決めた途端に案外スラスラ文章が出てくるのがまた人間の不思議なところですよね。この記事は1300字ちょっとありますが、まだ書き始めてから30分も経っていないのにもう結びです。うーん、気持ちのゆとりって大事(・ω・)
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