もくじ
ブログ毎日更新、ちゃんと続いてますよ
ブログの毎日更新を続けてきて今日で56日目。
もうすぐ2ヶ月を突破しようとしています!(´д`*)祝
目標の470日に対し、達成率は11.9%。
ここまで地道にブログを習慣づけてこられたことについては、素直に自分を褒めてあげたいと思います(`・ω・´)
実は今までこのブログ以外に、立ち上げては更新止めちゃったブログ何個もあるからね…
ただ、このタイミングで、毎日更新を続けることの難しさをひしひしと実感しつつあるのもまた事実。
今日はそんな壁を前にして揺れ動くmisoの気持ちをつらつらと書いてみました。
毎日更新は「質」よりも「量」「時間」を優先するトレーニング
そもそも、私がブログの毎日更新に踏み切った理由は、自分は成し遂げられない人間だ、と言う心理ブロックを破りたいという思いからでした。
それに加えて、昔から凝り性で、完璧主義が悪い意味で表に出てしまいがちな自分を変えられるかな、という期待もありました。
時間はかかっても良いものを作りたい。作品を作るなら、自分が心から満足いくものが出来た時に発表したい。
小学校の図画工作の作品作りから現在の音楽制作に至るまで、今まではそういう自分の気持ちを優先し、細部の質にまでこだわりながらモノづくりをしていたと思います。
で、子供の頃はそれでもよかったかもしれませんが、大人になって「仕事」という側面が絡んでくると、それだけでは超えられない壁に多くぶち当たるんですよね(´・ω・`)
もちろん質にこだわることで得られるものは沢山ありますが、それだけではやっていけないな、と何時ぞやの私はふと思ったんでしょう。
いかに100%に近づけられるかよりも、70%の質でいかに数をこなせるか。
全ての場面でその方がいい、というわけではもちろんないですが、こっちの視点の方が重視されることも多々ある、むしろその方が多い、ということを社会人になって実感しました。
なので、今までの一つのやり方に固執するのではなくて、両刀使いになったほうが、いろいろと柔軟に対応しやすくなるんじゃないかなーと思ったのです(・ω・)
そういう意味でも、毎日更新をしなければいけないというブログチャレンジは、凝り性だった私にとって「一旦(ここ大事)質よりも量をとってみる」というトレーニングに最適だなと思っています。
それでも質重視に戻りたくなる今日このごろ
しかし実際にやってみると、これがまた難しい!
最初のほうは調子良く毎日サクサクと書けていたように思えるのですが、やはり2ヶ月続けてみると、それぞれの質が気になってしまうのです。
あの記事はもっと書き込めるんじゃないか、もっと図をたくさん入れてわかりやすい説明にしたほうがいいんじゃないか、そもそもブログ全体のレイアウトを変えたほうが見やすいんじゃないか…
こんなふうにもっと改善したいところばかりが目についてしまうようになり、その小さなフラストレーションが少しずつ自分の心の中に積もっていくのがわかります(´・ω・`)
しかし、記事を書くだけでも結構な時間をかけてしまうのに、そういう細かい調整やカスタマイズまでに手が回らないのが現状。
こんな状態で、毎日更新を続けていても意味があるのか…
いっそのこと、チャレンジを途中で止めて、毎日は書けなくても、きちんと自分の満足のいくクオリティーになるまで作り込んだ方が良いのではないか…
そんなふうに気持ちが揺れる動く今日この頃(´・ω・`)
今までと違うことをしているんだから違和感は当たり前
ただこの気持ちの揺れは、ある意味自分にとっての試練でしょう。
ここで質への誘惑に負けて毎日更新をやめてしまうと言う事は、今までの自分と同じ決断パターンを繰り返すということ。
つまり、カンペキをできるだけ突き詰めたいという凝り性の自分に戻ってしまうというわけです。
それでは結局何も変わらないよね(´・ω・`)
現実を変えたいと思ったら、今までとは違った行動パターンをとらなければいけない、と何かの本で読んだことがありますが、今の状況がまさにそれなのかなと。
そもそも70%で出す「訓練」なのだから、違和感があってあたり前だし、そもそもこの70%とか100%とかいう水準も結局は自分で決めてるものに過ぎないので、客観的に見ていいか悪いかなんて判断しようがないよね、って重大なことに今書きながら気づいてしまった(゜д゜)
え・・・これめっちゃ恥ずかしくない??(゜д゜)今で質が質が、とか言ってる割に、それって結局「自分の中で」満足いってるだけだった、なんてめっちゃ恥ずかしくない??(゜д゜)
それに、毎日更新を辞めたからといって、
じゃあ浮いた時間で必ず自分の満足いく位に記事やブログデザインを作り込むんだな?
と自分に問いかけてみると、
沈黙してしまいました。おい(゜д゜)
結局のところ、数をこなすことが若干しんどくなってきたから、自分にとってはある意味ラクな「質の方に逃げる」と言う言い訳をしたいだけなんじゃないか。そんなふうにさえ感じてしまいますね。
そんなこんなでも毎日続けてます
と、こんな感じで毎日揺れ動きながらも、その気持ちを愚直にブログにぶつけることで記事数を稼ぐという荒技を繰り出しつつ、今のところきちんとチャレンジ継続出来ています(`・ω・´)
というかそもそもこうやって自分の気持ちを素直に記すことで、自分自身と向き合うことができるのがブログの醍醐味でもあるんだし、そういう意味ではいい感じに進められているのかな?
自分の気持ちを言語化するって、意外と難しいんですよね。こういう風に毎日トレーニングしないと、上手く表現できない。そこを鍛えるのにもブログは一役買ってくれています(・∀・)
あとで読み直した時に、あの時の自分はこんなことを考えていたんだなぁ、って振り返るのって結構面白いですしね。
さいごに
最後に、あまりに気持ちが揺れ動きすぎて先ほど「ブログ 毎日更新 難しさ」でググってしまったときに最初に現れた記事を引用して終わっておきます。
多くの人がブログをはじめてつまづくこと。
それは「更新頻度を上げるより、
たまにでもいい記事を書いた方がいいよね」
という論理。
これ、いろんな意味で間違っている。1つは、たまにしか文章を書かない人間に、
いい記事は書けないということだ。
例えば、1週間に一度だけいい記事を書こうなんて絶対に無理。
なぜなら文章を書き慣れていないからだ。たまに書くって、言ってみれば、
練習さぼって休養することで、
たまに試合出れば活躍できるみたいな幻想と同じ。
長年、文章を書いてきた大ベテランならともかく、
ろくに文章を書いたことがない人が、
間隔をあけて文章を書くことのいかに難しいことか。(中略)
数稽古をさぼって、いい文章を書こうなんてあり得ないから。
超天才ならともかく。
質を求める前に量なんだよ。
質うんぬんを語るのは一定量をこなした人の話であって、
ブログをはじめてまだ月日がたっていないのに、
書くのが苦しいからといって、
質を求めるために量はやめるといった途端、
さらに文章が書けなくなる。
こうしてだんだん書くのが億劫になり、
二度と更新されることのない放置ブログになる。出典:ブログを毎日更新できない人にいい記事は書けない~数稽古をサボって質の言い訳に逃げるな|好きを仕事にする大人塾「かさこ塾」塾長・カメライター・セルフマガジン編集者かさこのブログ
はいすいませんでした、ってなったよね(´・ω・`)
物書きも千本ノックやピアノの地味な運指練習と同じ。地道に続けてこそ意味がある。肝に銘じてがんばります。
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