実は今までブログを読まれるのが怖かったけど、頑張って殻を破って拡散してみる

ブログ成長記

※今日は心情吐露系の記事になりそうなので先に断っときます。

突然ですが、私はめちゃくちゃ人の目を気にします。

自分でもかなり矛盾してるよなぁと思いますが、ブログ書いてるクセにそのことを周りの人に知られて読まれることが怖かったんです。

実は今までFacebookではちょくちょく更新告知出してるけど、Twitterでこのブログに言及できたことが一度もなくて。

けど、それでは流石にブログをやってる意味というか、集客の面でいろいろ思うところがあったので(←)、この記事は勇気を出してTwitterに流すつもりで書いてます。

ある意味自分にとってのチャレンジです。自意識過剰にも程があるし、たかがブログで大げさなのは百も承知。でも怖いものは怖いんだよーーーーーというわけで記事本文どうぞ!!

前提にあるのは「こんな私を知られたら嫌われる」

まぁ結論を言えばこれに尽きるんですけどね。要するにええかっこしいなんです、私(´д`)

ちょっとマジメな心理学の話を交えて説明します。

例えば学校での私とバイト先での私、一人でいるときの私と皆でいるときの私、といった風に、その場その場で望ましいキャラクターを演じているという経験、皆さんありませんか?(心理学用語で「ペルソナ(=社会的仮面)」と呼ばれるものです。)

そういう仮面は人間関係を円滑にするうえで大きな役割を果たしていて、社会生活を営む上では必要不可欠なものなので、もう人間はそれを呼吸するかのように自然に付けはずしできるようになっちゃってます。自然すぎるから意識することってないんですけど。

とにかく、こういった表の顔と裏の顔、みたいな、外の人たちに見えている自分と内面の自分にギャップがある、といったことは誰しもあると思います。

で、ある一面を見せていたコミュニティに対して、別の仮面、ないしは仮面を取った姿を見せることって、結構勇気がいることなんですよね。

こんな面を知られたらどんな反応をされるだろう?ほんとは私こういう性格なんだけど、それを知られたら引かれないかな?

みたいな不安、恐怖が膨らむわけです。

恐怖の大小を決めるのは「自己肯定感」と「対象の重要度」

で、今のところの持論として、この恐怖の大小というのは、

・自己肯定感(自分のことをどれだけポジティブに思っているか、どれだけ自信があるか)
・対象の重要度(どれだけその人・コミュニティが自分に影響するか、どれだけ嫌われたくないか)

他にもいろいろあると思うけど、少なくともこの2つの要素が大きく関わってくるんじゃないかと思ってます。

自己肯定感の高いの領域にいる人は、そもそも自分に対してすごくポジティブで、自信もあるのでそもそもこういうメンドクサイこと考えない気がする。どんな場所でも飛びこんで終わりっ(心底うらやましい)

もう一方の「対象への重要度」という指標については、それが低ければ、つまり自分にとってそのコミュニティが大して好きでもなくて重要でもなければ、そもそも仲良くなりたいとか嫌われたくないとか思わないので、案外自分がその人たちにどう見えてるかなんて気にならないもんです。

だからの領域についても素の自分で接することには意外と抵抗は少ないんですよね。

(これ最初は「対象への好意」としてたんですが、変えました。なぜなら「好きじゃないけど重要」というシチュエーションも結構あるから。ほら、職場の人間関係とかご近所づきあいとかさ…)

で、④の「自己肯定感が低くて対象の重要度が高い」領域に自分の置かれてる状況が当てはまった場合が一番厄介。

「出来ればそのコミュニティの人たちからの評価は下げたくない、嫌われたくない、でも私のこんな一面を見せてしまったら引かれるに決まってる!!」という論理から、見せたくない部分は隠しまくって、「見せたい自分しか見せない」ようになってしまうんですよね。

(ちなみに、よく恋愛相談である「自分のタイプじゃない人からは好かれるのに好きな人には振り向いてもらえない」という嘆きのカラクリはここにあります。好きな人からの評価ってものすごく重要なんだけど、素の自分に自信がないから、ありのままで振る舞うことが出来ずに仕草が不自然になる)

私にとっては、Twitterのフォロワー(主に大学時代とそれに派生する人間関係)に一番多くこの④の領域に当てはまる人がいたので、今まで頑なに出し惜しみしてたというわけ(´д`)

比較的新しい付き合いの人も多くて、できればその人たちとは仲良くしていたいし、構ってほしいし、いい関係を保っておきたい。自分で書いてて女々しいなぁと思うけど許して笑

Facebookではちょこちょこ宣伝してるんですけどね、そっちは割と古くからの友人だったり、私のことを良く知ってる人たちだったり、小学校中学校の同級生とか、もうそこまで関わることないしな(´-`)という人たちの割合が比較的多いのでまだ抵抗は少なかったのです。いざとなったら公開範囲設定できるし。

明るくてデキる私しか見せたくなかった

私は仕事柄もあって、舞台で演奏したり、人前に立って話したり何かを教えたりする機会が多いです。

そういう場にいるときは自然と楽しくなるし、にこやかにお喋りもするし、普段から竹を割ったような性格、いわゆる「姐さん」キャラに見られることが多いです。もちろんそれが自分らしいと思ってるし、自分の本当の一面だと思ってます。

でも、そうやって前に立ってエラそーに喋ってる立場の人間が、実はすごく自分に自信がなくて、脆くて面倒くさい一面も持っているってどうなんだ、という葛藤。

そういう面が周りに知れたら、もう自分にはお仕事の声がかからなくなるんじゃないか、という怖さをずっと抱えてました。だって欝々としたピアニストとか先輩なんて、なんとなく声かけづらくない?笑

前でパフォーマンスしなきゃいけない人が、実はうつ経験があって、今もちょっとしたことで落ち込みやすくて、いつも小難しいことグルグル考えてるなんて、外に見せたい自分の理想にそぐわない訳ですよ。

けどそういう理想とは裏腹に、残念ながら現時点で自己肯定感が低い人間なのは事実。ぶっちゃけ「自分みたいな人間は、周りの人からすればすごく絡み辛い人間なんだろうな」というものすごい後ろ向きな気持ちを子供の頃からずっと引きずってます。

人と喋ったりしてても、ちょっとでも相手の表情にネガティブなものが見えると「あっ、今この人絡みづらそうにしてる」とか思っちゃって、自分の会話が空回りした気分になっていちいち落ち込む。実際そんなこと思ってるかは確かめようがないんですけど。自意識過剰だし被害妄想レベルだなって思いますけど。

それに加えて何か素晴らしい成功を収めているわけてもないし、天才的に突出した得意分野があるわけでもない。中途半端な自分が不完全で惨めな存在に見えてしまって、卑屈さに拍車がかかる・・・悪循環(´д`)

そういう気持ちを外に見せてもあまりいいことないと思ってたので、自分の暗い部分は気心知れた人以外には出さないように、見せないようにしてました。「そこそこデキる私・頑張ってる私」の部分だけ見てほしいってね。(ここで実際に隠せてたかどうか、はまた別の話なので割愛)

でもブログで人の心に残るのは「内面を出した文章」なんだよなぁ

でもそういう自分をなんとか変えたくてピアノを頑張るかたわら心理学やカウンセリングを勉強して、自分を知るためにブログに考えたことを書き出すようにして。

そうして続けていくうちに、ブログってそういうドロドロした自分の内面や考えたことの吐露を、価値のあるコンテンツに昇華できる媒体なんだということに気が付きました。むしろそれが文章を書く醍醐味というか、実際それを役に立つとか面白いと思ってくれる人もいるわけで。

それを人に見せることで自分の世界や人の縁を広げていく面白さ、みたいなものも感じ始めていたので、「もっと色んな人に読んでほしい・・・」「けどこんな自分をさらけ出すのもなぁ・・・」というジレンマで苦しむことに。

もっとたくさんの人にこの文章を届けるためには、その手前の「リアルでも関わる知人たち」を超えていかなければならないので。それが私にとってはなかなかハードルの高いことでした。

それに、ここは特に何かに特化して役立つようなことが書いてあるブログというわけでもない。黒い心情を垂れ流してるかと思えば、一方ではのんきにイチゴ育ててる様子を書いてたりするし。笑

逆に自分の周りには才能あふれる人たちが沢山いて、そういう人たちがやってるカッコよくて実用性のあるサイトとかを見てると自分のやってることが滅茶苦茶しょーもなく感じるんです。他人と比較してしまって、「こんなの出しても笑われるだけよなぁ…」って。自分の文章がうまく書けてる自身もいまだにないしね。

そうはいっても綺麗事も言えなくなってきた

そんなこんなで、長らくここのブログを拡散することに抵抗を感じてきたのですが、最近思ったんです。

ぶっちゃけそんなこと言ってる場合じゃねぇなって。

だって知られないと読まれないし、読まれないとお金にならないんだもの(^ω^)

そう、私お金欲しいんですよ。稼ぎたいんすよ。ちょっとでも余裕をもって生活してピアノ弾き続けたいからお金が必要なんすよ!!!(゜д゜)クワッ

せっかくアドセンス承認もらってブログ読まれたらお金がもらえる仕組みにしてあるのに、自分の変な心理ブロックのせいでそれを全然活用できてない現状。

でも他人の目と自分の生活、天秤にかけてどっちが重要かっていったら絶対に後者のはず。いくら嫌われたくないからって、生活費稼げるチャンス犠牲にしてまでしがみつくことじゃないよなぁって思うようになりました。

それに、上手く書けるようになってから公開しよう、だといつまで経っても上手くならないし。

成功や自信も一緒。成功できる確証が得られなければやらない、だといつまで経っても成功できない。自信がついてからやろう、じゃいつまでも自信はつかない。

そんな風に考えた結果、一番怖かった層の人たちにもここを見てもらうことに踏み切ったわけです。

というか、そこまで他人は私のことなんか興味もってないし、勝手に注目されてるような気になって悩んでる自分、自意識過剰でクソダッセェwww

って思ったのが吹っ切れた理由です。ハイ。

怖いまま進み、損を受けとる

ここにはうつだった時の話とか、デリケートな話題の記事も置いてるし、普段のキャラと違う文体で書いてたり、すべってたりイタかったり色んな文章があるので知られるのが怖いのは変わりないのです。が、これからは怖いまま勇気出して拡散することにします。だってお金欲しいから(゜д゜)クワッ

これを読んで「あっこの人無理」って思った人はそっとブラウザを閉じてもらって、そのままスッとフェードアウトして頂ければいい話。悲しいけどね(´・ω・`)

けど、そういう割り切りというか、「損を受け取る覚悟」みたいなものを乗り越えないと、自分変われない気がしたので。いつまでも八方美人してても先がないなって思ったので。

逆に、もし私の文章を読んで面白いなと思ったり、興味なり好感なりを持ってくれた人がいたら、その人たちとの関係を大事にしていけばいい。そう自分に言い聞かせて、ちょっとでも前向きに自分を変えていけるように頑張りたいと思います。せっかくカウンセリングも勉強してることだしね。

というわけで、今後は更新情報をTwitter(@miso35_piano)のほうで流していこうと思いますので、これからも読みたい!と思って下さった方はぜひフォローをお願いします(・∀・)ノ(壮大なステマ)

おまけ:チャレンジすること、自分にとってありえないことに飛び込む大切さ

実は今回この自分的バンジージャンプに踏み切る最後の一押しになったのが、先日見に行った大学の後輩たちのステージなんですよね。

そこのMCでメンバーたちが、自分の殻を破ること、今までやらなかったことにチャレンジすることの大切さを話してて、「あぁみんないいこと言ってるなぁ」って素直に感化されました(´ω`)笑

自分にとって「それはありえない」を本気でやってみると違う世界が開ける。そんなこと今までの自分の経験からもわかってたはずなのに、いつの間にか怖がりの自分に戻ってしまっていたことにも気づかされました。

なので、自分も勇気を出して「今まで怖くてやってこなかったこと」をまたちょっとずつやっていこうかなと、ステージを見ながらそう思うことができました。

大げさかもしれませんが、そんな風に奮い立たせてくれた後輩たちに感謝です。みんなありがとーーー!!

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