真面目すぎると言われ続けてきた人間が「真面目」という言葉について改めて真剣に考えてみた(2)

真面目すぎ・頑張りすぎ

私もしかして「真面目」の意味をはき違えてる?

前回の記事↓

真面目すぎると言われ続けてきた人間が「真面目」という言葉について改めて真剣に考えてみた(1)
真面目であることに苦しんできたのに、真面目じゃなさそうと言われるのも癪? このツイート、思いのほかたくさんいいねをもらってちょっとうれしい(´ω`) こんな呟きをしたのは、最近別々の人に立て続けに「misoさんって兄弟いたっけ?」と...

あと単純に、ある意味「これだけは誰にも負けない」とすら思っている「真面目さ」という点で妹と比べられ、さらにそこで「妹のほうが真面目そう」と言われてしまったことで、なんか「負けた」ように思ってしまったんだと思います。

私からしたら「あの妹より私が真面目じゃないだと!?( ゚Д゚)」という感情が先走ってしまったのね。もちろん言った相手は私の妹を見たこともないので、知ってる私と比べるのはアンフェアなんですけれども。少なくとも私は妹のことを私より真面目なタイプだと思ったことはない(すまんな妹!)

どちらかというと妹は活発で人とワイワイするのが好きで、私の方が勉強も好きだし一人でじっと本とか読んでるのが好き・・・

・・・っとここまで考えて、ちょっとおかしなことに気付いた。

あれ、私もしかして「真面目」の意味をはき違えてないか??( ゚Д゚)

私が想像してるのって「世間一般に思われている真面目な人のイメージ」の方なんじゃないか??( ゚Д゚)

頭の中で勝手に「真面目=よく考える人」というイメージがついていた

そう、だってよくよく考えてみれば、妹だって「真面目じゃない」わけじゃないもの。

さっき挙げた「どちらかというと妹は活発で人とワイワイするのが好きで、私の方が勉強も好きだし一人でじっと本とか読んでるのが好き」というのも、これは外向型か内向型かという違いから来るものであって、真面目かどうかという違いではない。

じゃあ私は「真面目 or 真面目じゃない」を反射的に何で分けていたんだ!?(´・ω・`)

・・・これについて思い当たる可能性の一つが「物事を考える深さ」でした。

こんな言い方したら何だけど、妹はあまり物事を深く考えないんですよね(すまんな妹!)

妹はどんなことにも「さぁ?しらんけど?まぁなんとかなるんちゃう?(・∀・)ww」とケロッと言い放つ楽観思考。しかもその通りに不思議と彼女の周りのことは大抵なんとかなっちゃうし、何とかしてくれる人がひょいひょい集まってくるんですよね。それが彼女の強みなんですけど。

対して私は、こんなブログ書いてるんだから言わずもがなですね←

つまり、私の頭の中では「真面目=物事を深く考える人」というイメージがあったので、「真面目そうじゃない」という言われたときに脳内で「あんまり何も考えてなさそう」と言われたような感覚になったのかも。

「真面目」を辞書で引いてみると

ここまでは「真面目に見られるほうが嬉しい」という心理について考えてきましたが、逆に今までの「真面目であることに苦しんできた」という経験も、実はこの「世間一般に思われている真面目な人のイメージ」の方に苦しめられてきただけのような気がしてきました・・・( ゚Д゚)

本来の真面目の意味って、辞書で調べてみると

1. うそやいいかげんなところがなく、真剣であること。本気であること。また、そのさま。「真面目な顔」「真面目に話をする」
2. 真心のあること。誠実であること。また、そのさま。「真面目な人柄」「真面目に暮らす」

出典:Yahoo!辞書 (デジタル大辞泉)

なんですよね。考えの深さの度合いとか全然関係なかった( ゚Д゚)

他にも私の中には、

・勉強ができる、ガリ勉

・面白くないヤツ、つまらないヤツ

・考えてばかりで融通がきかない

・小難しいことばかり考えていて付き合いづらい

・なんか鼻につくしムカツク

こういった世間一般に抱かれがちなマイナスイメージの方が染みついちゃっていることに気が付きました。

こういう世間一般のイメージにさらされ続けていたから、自然と私の潜在意識に「真面目=直さなくちゃいけない欠点」のような考えが刷り込まれちゃったのかなぁ。

真面目なことは欠点じゃない

でも本来、真面目であることは悪いことではないことが今回分かったし、その真面目さがあったからこそ得られた信頼とか、成果とか、たっっっくさんあるわけですよ。

そういう自分に元来備わった武器でもある「真面目さ」を駆使して今の私があるわけだし、むしろ「それがわたしだ」という自負も誇りもあるわけで。

「真面目なせいで苦しかった」もあれば「真面目なおかげで助かった」もある。単純にはもう割り切れないんですよね。ラスボスでもあり戦友でもあるみたいな?(´ω`)

「勉強できる子卑屈化社会」を読んでみたら、たいへんなことになった(1)
勉強できる子卑屈化社会、読了。 前川ヤスタカ氏の著書、勉強できる子卑屈化社会。 もう出版から半年以上たってますが・・・ ずーっと読みたくてやっと手に入れることが出来たので、カフェに籠って一気に読みました。文字が大きいのでサクっと読め...

↑こちらの記事で紹介した「勉強できる子卑屈化社会」という本は「真面目な子卑屈化社会と」読み替えても通るような気がしますが、その中にこんな記述があります。

学校の勉強に対しては、大人も子供もいろいろと複雑な感情が入り乱れていて、スポーツのようにできる子はかっこいいで済まされないというのはわかります。
しかし、それでもなお主張したいのは、勉強ができることを他の能力と区別することなく、平等に褒めようということです。
スポーツができる。すごい。
絵が上手。すごい。
歌がうまい。すごい。
かわいい。すごい。
おしゃれ。すごい。
勉強できる。すごい。
それでいいじゃないですか。(p.201)

ドラマ、ドキュメンタリー、バラエティ番組などを通じて、勉強することだけが人生において大切ではないというメッセージを送るのは別に構いません。実際に勉強以外の重要なこともたくさんあります。
しかし、何度も繰り返し言いますが、それを謳うのにインテリや勉強できる子や勉強そのものを貶める必要はありません。勉強も大事、それでいいはずです。
(中略)
別に特別持ち上げなくていいのです。
むしろ「勉強できる男子かっこいい」「高偏差値女子の魅力」みたいにゴリ押しすれば、かえってうざいと思われるのが時代の空気です。
そうではなくて、勉強できる子も、他の才能ある子と同様に扱ってほしいだけなのです。(p.209-211)

真面目という性格だって同じですよね。単なる個性の一つ。決して「直すべき短所」ではない。真面目さという生まれ持った特性を、世間のイメージによって潰してしまうことはないんです。

「真面目すぎる」と言われ続けていつまでたってもそれが直せなくてずっと悩んでいた私でしたが、「そもそもそれが私なんだ」とまずは受け入れてしまうことが大事だったんですね(´ω`)

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