帰省中に実家の湯船に浸かりながら考えたこと色々の備忘録

本当に備忘録なのでトピックは割とバラバラですすみません(´Д` )

例によってスマホだと上手く編集出来ないのでまた後日キレイに書き直しますね。

◆その① ご先祖からの繋がりについて

映画「未来のミライ」の中のセリフに出てきた & 帰省中に会ったじーちゃんばーちゃんが言ってたこと。

もしここでおじいちゃんが違う会社に行ってたら…もしおばあちゃんがここに来てなかったら…もしお母さんがこうしてなかったら…miso家はこうやって存在してなかったんだよーって。

たまたま偶然そうなったというようなめちゃくちゃ些細な出来事でも「それがなければ今はあり得なかった」というのが沢山あるから、そう考えると今自分がここにいるって奇跡的な確率なんだねぇ。普段なかなか意識出来ないけど。

◆その② 情けは人の為ならず

人助けってやっぱり大切なのね。人のために何か出来ないか、って気持ちを忘れないこと。

そういう気持ちを忘れずに生きていれば、その時は苦労ばっかりかも知れないけど、長い年月を経た後にちゃんと返ってくる。

人生何が起こるかわからないけど、最後にちゃんとバランスが取れるようになってる。不思議。

◆その③ 迷惑と手助けと感謝について

人に迷惑をかけてしまうのは生きている以上仕方のないことだから、実はそこに罪悪感は本来いらない。

それよりも、そこに差し伸べられる手に感謝の気持ちを忘れないことが大事。

そうすれば、今度逆に自分に何か振り掛けられたとしても、「お互い様」で本心から助け合うことが出来るんだろうね。

これを思いついたときにふと自分を省みて、「自分は一人で生きなきゃいけない」とずっと粋がってたなぁと思った。

だから人の助けを跳ねつけて一人で頑張ろうとしてきたけど、一方では差し伸べられる手に対して「そんな程度(の助け)じゃ全然足りない」という怒りも持ってるという訳の分からん矛盾状態。

感謝の出来ていない自分がめちゃくちゃ恥ずかしくて泣いた。

◆その④ 宗教とのお付き合い

宗教って、日本ではカルトなんかの影響もあって印象良くないけど、それ自体が全部まるごと悪いってわけじゃない気がする。

結局は本だろうが人から聞いたことだろうが宗教だろうが、そういうものは全て「参考書」の類であって、そこから自分が幸せになるためのエッセンスを「自分で」選び取るというのが、そういう情報や信仰との健全なお付き合いの仕方じゃないだろうか。

上手く表現するのが難しいけど、「その教えを信じる」ではなくて、「その教えを信じることを選択した自分を信じる」とでも言いましょうかね。

逆に「この人(宗教)の言うことさえ聞いていれば勝手に状況は良くなるはず」と、自分の選択責任を他人に明け渡してしまった瞬間に「呑まれる」んだろうね。多分カルト宗教に悪い意味で引きずり込まれてしまう人はこういう感じなんだと思う。他力本願ってやつね。

結局は現状を変えられるのは自分しかいないんだから、「信じる対象」はあくまで手段である。主導権を明け渡しちゃいけない。

っていうのが今の私が信じていること。

じーちゃんばーちゃんから濃い話をたくさん聴くと考え事が捗りますわ(´ω` )

とりあえずそれぞれ断片は書き留めたので、またここから色々思考を膨らませてみたいですねぇ。

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