人は結局、自分に大きく影響があると思ったことにしか反応しないし、一生懸命にもならないんだなぁ・・・
いや、最近ふとそんなことを思ってしまう出来事があったので・・・
自分の思考の整理の意味でもちょっと書き残しておくことにします。
自分に損がありそうなことには抵抗したくなる
例えば、「このままではウナギが絶滅してしまうので、今後はウナギを食べることを禁止します!」と言われたら、特にウナギが好きじゃない人や食べられなくなっても困らない人は
まぁしかたないよね(´・ω・`)
って比較的すんなり受け入れるでしょうが、ウナギ業者さんやウナギが好きでたまらない人はふざけんな!!(゜д゜)と最後まで抵抗するでしょう。
また、「このままでは経営が厳しいから、店を守るためにみんなのお給料20%ずつカットするね」と店長に言われたら、そういことなら仕方ないねって素直に従う人と、なんだよそれ!!と怒り出す人と両方いると思うし、従う人だって内心はよく思ってなかったり、なんだか納得いかなかったり、ということもあるでしょう。
長期的に見ればウナギが絶滅しちゃったり店が潰れる方がマズい、ということは客観的になら冷静に思えるんですが、やっぱり当事者として一時的にでも自分に損が出る、となったら話は別で、必死に抵抗しちゃうんですよね。
上手いたとえになったかはちょっとビミョーですが、しいて言うならそんな感じで、「確かにそっちの言い分もわかるし、私の考えがちょっとズレてるって可能性もあるけど、けど、でもやっぱり自分が損したようで納得できないなぁ・・・」って思っちゃうことがあったんですよ。最近ね。
私の言うことも、相手の言うことも、それぞれ一理ある。けど、どっちかが折れなきゃいけない。そんな状況って世の中にはごまんとあると思うんです。
それで結果的に相手の方の筋を通すことになったら、こっち側には「たしかに正しいけど・・・」ってモヤモヤが残っちゃう。
いくらカッコよく理路整然と正論を述べても、じゃあその正論通り身を切ってください、と言われたら、やっぱり嫌だなと思っちゃいます(´・ω・`)
たとえ正しくても、ムカつくやつの言うことは聞きたくない
似たようなことで、いくら理論的で正しいことであったとしても、あの人が言うとなんかムカつくから言うこと聞きたくない、みたいなことも結構あると思うんです。
結局本質としては同じことを言われているんだけど、それを言う人に対して自分がどういう印象を持ってるか、その人と自分がどういう関係性なのか、というところが、素直に言うこと聞けるかどうかにかなり影響してくる。
そうやって時々によって変わるなんて、大人げないなぁ、とか、こういう風に思えばいいよ、って外野から批判やアドバイスすることはいくらでもできる。
でも、実際当事者になってみると、やっぱりそういう理屈だけで自分を納得させられる場面ってなかなかなくて、結局その時の自分の気分にかなり影響されるですよね。
後でそんな自分に、なんか私ダメなやつだなぁ、聖人のようにはなれないんだなぁと自分に対してガッカリ感と罪悪感を覚えちゃったりして・・・(´・ω・`)
結局、人間ってそんなものなんだろうね
でも多分、残念なことに、結局人間ってそんなものなんでしょうね(´・ω・`)
確かに理屈としては正しいけど、頭ではわかってるけど、でもなんか嫌なんだ!!という子供みたいな気持ちは、多分人間である以上消すことは不可能だし、それとどう折り合いをつけていくか?みたいなのが社会で生きていくためのお題みたいになってる感はあります。
ただ、今の世の中は必要以上に「大人であること」「正しいこと」「理論的であること」を求めすぎているが故に、理性ばっかりを優先して、本来あって当然の子供みたいな感情を抑圧しすぎて、色んな所にひずみが生まれているような・・・(´д`)
なんというか、寛容性がないんですよね。多分「こんなのいやだ!」とかいうネガティブな感情も、「そうか、そう思っちゃったんなら仕方ないよね」って認めてあげれば比較的落ち着きやすくなるのに、そういうのを感じることすらタブーにしちゃうから、後でものすごい暴走を生んでしまうんだと思います。
結局、人間なんてそんなもの。必要以上に自分を聖人扱いせずに、「まぁそんなものだよなぁ(´・ω・`)」って思う人が増えれば、もっと世の中は優しくなるのかしら・・・
っと、そろそろまとまりがなくなってきたのでアンニュイな憂いで終わっておこうそうしよう。
よろしければこちらも(・∀・)



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